hide-okierabu’s blog

管理会社勤務23年間の実務経験を活かしてマンション管理の真実を公開し社会善へ向けて日本の旧体質を打破して行きたい為に開設致しました。

雑記

2023.12.10

午前3時半目覚め。

洗面所へ行き、うがい・洗顔(水だけ)。ゆっこでコップ1杯分の湯をセット。

腰回し前後左右に揺さぶり、肩を前後にくるくる、手を伸ばし交互に逆回転させ、両手を頭の後ろで組み頭をそらす。お決まりの早朝ストレッチ。

湯が沸きインスタントコーヒーの「男はゴールドブレンド」にハチミツを入れ血流対策?してデスクへ。

PC立ち上げX:TwitterFacebook、そして最近強要されたワッツアップを確認する。

X:TwitterFacebookは長年続けているがX:Twitterの方のウエイトが多い。

ワッツアップはX:Twitterで出会ったインド創価学会員に要請され始めた。純粋に交流出来ている。大誓堂10周年記念勤行会への参加を地元SGIメンバーと連携、準備して来日予定でしたが、心情が変わりキャンセルとなった。

以前はこの時間、御書や法華経に没頭したり、必死に題目を唱えていた。サラリーマンで年間200万遍とか御書年2回拝読、そして法華経と。その他指導集や哲学書を含めカウントすると100冊に相当する読書を数年続けていた。

数年前から題目のカウントをやめて、勤行もスタイルを変え自由にしている。

 

青年部時代に支部全体で折伏結果上期0状態の中、先輩部長と副部長2名が初回の青年1級試験で留守がちに。当時地区リーダーの中心的存在だったので男子部を取りまとめ勤行をおこなった。何回か導師は経験(お経担当創価班も)していたが、この時は違っていた。緊張と恐怖が襲ってきた、「この同志に結果を得させなければ・・・御本尊不信になってしまう」と言う思いが頭をよぎった。

毎夜支部拠点を21:00~拝借、来るメンバー来るメンバー毎に勤行をした。10回位はざらだった。たわいもない話をし近況を確認し合う。程よく隣から声が掛かり壮婦が🍙と唐揚げやみそ汁が用意されていた。

体が出来た、導師を争うメンバーが出て来た。一番先に来てやりたい者が導師を、と決めていた。壮婦が絡み生活の悩みや仕事・バイトとの相談、そして恋の悩みも。

「願いなさい」と笑み乍ら微笑み支える壮婦がいた。

勢いが出てきた。言わば「活力」である。折伏目標を打ち出した、打倒婦人部」である。本部でトップを取ろうとしても、相手の姿が見えない。ならば支部内の強豪婦人部を相手として競おうと。支部幹で決意披露する。さらに活気だって来た。

男子部11世帯、婦人部11世帯に到達し年末に突入。さすが婦人部・・・隠し玉が一個ストックされていた。結果男子部11世帯、婦人部12世帯で支部23世帯を下期で達成した。

歓喜の中、本部へ打ってでた。人材GPを結成した、当時言われていたC/Dクラスの掘り起こし。支部メンバーを引く連れ本部拠点で活動を開始した。

体験が日々生まれ征く、手詰まり感が出始める。そうだ・・・全国幹部を呼ぼう。

即行動した、もとより幹部出禁の集まり。不満の声が上がる。

要望が叶い全男が会場入り、当然として幹部が同行し異様な雰囲気を醸し出していた。

勤行、御書講義が始まった・・・突然全男が「なしにてる!」と。爪をいじっているメンバーを睨み「ここは精鋭中の精鋭が集まっている。気を抜くな!」。C/Dクラスに全男から激が飛んだ。終了後に暖かくもやさしく激励する全男の姿があった。

名前を「折伏驀進隊」とした。自分が高杉晋作好きで幕末の志士を尊敬していた影響。

当時は忘年会も盛んだった。皆で年末の商店街へ買い出しに行き、支部拠点で壮婦の差し入れも合わせ楽しい会食が始まった。

中ごろに一人の幹部がきた。通常会話でつっかり私をターゲットに隊員を卑下し始めた。後でわかったが失敗だった。罠にかかり土下座迄させられた。

後日曲解された報告が本部幹部され、当時公明新聞記者の派遣本部長に総括された。

やむなく解散し活動停止に・・・・20数年間。

某副会長に拾われ創価班から〇金へ移行する。その後の活動はありのままには披露できない。

今朝はここまでかな?って感じです。