hide-okierabu’s blog

管理会社勤務23年間の実務経験を活かしてマンション管理の真実を公開し社会善へ向けて日本の旧体質を打破して行きたい為に開設致しました。

傷病休暇 近況

こんにちは(^_-)-☆ 久しぶりの投稿です。 2023年4月、私は間質性肺炎と関節リウマチ(膠原病)を発症しました。それまで当たり前だった日常が、静かに、しかし確実に変わり始めた時期でした。 そして2025年1月。その病状は、思いもよらない形で急変します。 いつも通りの定期診察のつもりで訪れた病院。しかし、腎センターの先生がわずかな異変を見逃しませんでした。すぐに大腿部からの緊急採血が行われ、結果は深刻なものでした。 血中酸素濃度は、わずか65%。 そのまま個室へ運ばれ、急性増悪と診断。ステロイド30mgと抗生物質の点滴が、間髪入れず開始されました。わずか数時間前まで「いつもの診察」のはずだった時間が、一転して緊急入院へと変わった瞬間でした。 入院期間は10日間。身体の苦しさはもちろんですが、それ以上に「自分の体に何が起きているのか」という現実と向き合う時間でもありました。 その後、10日で退院。しかし、すぐに元の生活へ戻れる状態ではなく、約3ヶ月にわたる療養期間に入りました。 思うように体が動かない日々。焦りや不安を感じながらも、「回復すること」に意識を向け、少しずつ日常を取り戻していく時間でもありました。 そして昨年8月。ようやく、管理会社の技術部設備グループに勤務することができました。30数年ぶりに「自分に合っている」と思える仕事に出会えたことは、大きな喜びでした。 64歳、契約社員としての採用。その機会に感謝し、できる限りの力を尽くそうと日々取り組んでいました。 しかし12月、「アスベスト」に関わる労災をきっかけに、再び病状が悪化。1月19日から3月31日まで、傷病休暇で対応することとなりました。 4月9日、ヘルプマークを身につけて出社。それでも職場では、すでに代替人員の募集・面接が進んでおり、8月からの新規採用も決定していました。 一時は気持ちが折れかけ、労災を巡る訴訟も考えました。しかし、その対応のあまりの味気なさに、今は一旦保留としています。 現在は、自身の体調と向き合いながら、今の状態でもできる仕事を模索しているところです。これまでに取得してきた資格――マンション管理士、管理業務主任者、宅地建物取引士、二級建築施工管理技士、二級管工事施工管理技士、マンション維持修繕技術者、マンション改修施工管理技士。そして、管理会社でのコンサルティング経験を活かし、業務改善を軸に取り組みを続けています。 現在は一ヶ月の様子見という状況ですが、残留の可能性は「会社次第」から「自分次第」へと変わりました。 体調も少しずつ上向き始めています。間質性肺炎と関節リウマチ、そして以前から向き合ってきた糖尿病。これらの病と付き合いながらも、日々の管理を怠らず、心豊かに過ごしていきたいと思っています。 これまでの経験も、これからの時間も、無駄にせず。自分にできる形で、社会と関わり続けていく――そんな歩みを、これからも続けていきます。

間質性肺炎 奮闘記

昨年暮れ

・12/26~9連休取得でSKJ調整

・12/29 ?少し風邪気味か・・・。

     正月休み明け迄に治らなければ、医者行くかな。

・01/06 ヤバイ出社不可能状態

     一度38.5℃まで高熱になっていた。

     病因探そうとするが、外出する気力・体力がない。

     発熱してると直ぐには診察できない。気力も低迷し種々対処不可能。

・01/17 予定していた定期検査(採血・採尿・胸部X線)へ

     いつもは5分で着く病院までに2回休み、20分程かかった。

     12/26日以来、外出は1/6日の床屋のみ。咳・痰で横になれなかった。

     採血中に血管収縮で採血不能になり、時間が掛かる。必死だった。

・01/21 予定していた腎センター(関節リュウマチ)定期健診

     入室するなり「CT撮って来い」と担当医の厳しい口調。

     座る間もなく従った。もう気力も減退し、成すがまま状態。

     CT済ませ再入室、立ったままで「即入院、死ぬよ」と担当医。

     CT撮影の間、本院にいる間質性肺炎担当医と分院呼吸器内科と連携。

     処置室へ、右大腿部動脈より採血。PO2値:67%、即入院。車椅子移動。

     個室でステロイドプレドニゾロン)パルス+レボフロキサシン点滴。

     翌2:00頃、血中酸素濃度97~100%の測定器デジタル表示。

・01/23 4人相部屋へ移動

     ステロイド30mg服薬の影響か睡眠薬を処方される。先日32時間不眠状態

     痰から抗抗生物質ブドウ球菌検出。常時マスク着用の指示がでる。

 

※以降、朝食・昼食・夕食前血糖測定が実施され、朝食前のみ基準201を切りインシュリン注射は避けられたが、昼・夜の食事前は2~4単位でインシュリン注射。退院前に2日程血糖値が201を切る状態。

 

 31日に予定通り退院。(10泊11日)

 

退院後は2/6迄ステロイドプレドニゾロン)は30mgで、2/7~は20mg服用の指示あり。40歳から患っている糖尿病は、ステロイドで数値は上がるが血糖値測定やインシュリン注射は特にする必要は無く、今までの処方薬・処方量でOKとのこと。

 

2/14:定期検査(採血・採尿・胸部X線

 

2/18:腎センター(関節リュウマチ)定期健診

 ステロイドプレドニゾロン)で中止している「ケザブラ」は、ステロイドの量が10mg台になると痛みが発生し必要になるとのこと。3月の検診は延期し、4月でおOKとなる。但し、痛みが出た時点で来院し「ケザブラ」を再開予定とする。(1本在庫あり)

 

2/20:呼吸器内科(間質性肺炎)定期健診

 胸部X線・入院中のCT撮影等の結果から明日より20mg⇒15mgで服用となる。2週間後の3/6日に診察し15mg⇒12.5mg or 10mgの検討を・・・と言われたが自己都合により3/27迄延期してもらう。

 

※退院後、脚力・体力・肺機能維持目的で散歩を始める。飲料水・のど飴・のどスプレー・龍角散・ハンカチ・ティッシュ・携帯etcを詰め込み、ヘルプマーク+咳啓発カードを携帯し、首回りの暖に注意し外出。5分歩き、咳き込み止まり、を繰り返し数十分散歩し帰宅。徐々に歩数を伸ばし、以前のコースを時間をかけ、休憩し徐々に距離を伸ばしていく。3000~5000歩、13000~15000歩と一週間かけて達成できるようになった。

トイレ回数も改善し、咳き込みも着る者やネックウォーマー(タオル併用)を改善して少なくするよう努力。以前と違い「空咳」が「痰がらみ咳」となり、少し楽に感じるが今度は「痰が絡むと咳き込む」様になってしまっている。

 

※2月21日(金)人材派遣会社面談、その後派遣先会社へ面談。2ヶ月振りの外出であり、再スタートの大事な日。実は1/24(金)の予定だったが、1/21~31迄緊急入院した為に延期をお願いし了承されていた。

この日を目標に筋トレ散歩を実施し、少し焦っていた面もある。経験上、OKが出るのは派遣会社も熟していたが・・・スムーズに済んだと思ったら「咳治りますか?」「管理者なので社員の健康管理は厳しく指導しておりますので・・・」との発言。

いや・・・・咳の啓発カードの話や不都合の無いよう極力対処しますと再度説明。

「では一ヶ月様子見としましょう」との発言、ほっとすると共に「課題」を頂いた・・・いや「難題」だと。

この病は難しいですが、何とか工夫・打開して頑張って参ろうと決意しております。

(⋈◍>◡<◍)。✧♡

 

間質性肺炎 闘病記 (2025.2.9現在)

おはようございます💞
尊き無冠の友の皆さん、今日も本当に有り難う御座います。
 さあ!今日も大宇宙のリズムに己が生命のギアを嚙み合わせてスタートだ💪💨
ステロイドプレドニゾロン(パルス3日間含む)服用20日目、10㎎減の20mg体験3日目になりました。
効果としては、咳き込みが少なくなり痰の絡む咳となり楽になったこと。副作用としては入院中からの睡眠障害で、入院中2種類の眠剤で対応、退院後はデエビゴ一種類で対応しています。
副作用は睡眠障害以外、目立つような症状は出ていませんが倦怠感や覇気は日々変化してるように思います。
又食事は満腹感(空腹を感じない滞留感)が続いていましたが、体重が55㌔台まで減ったので、食事を以前の通常食に3日前から戻しています。体重がやっと56.4㌔と増加傾向に。以前より6㌔減で脚力を含め筋力・体力もまだまだなので筋トレ散歩を実施中。3日程前から10000~13000歩を歩けるように、腕の筋トレも斜め懸垂がやっと15回位、ストレットも公園の健康ツールで実施し始めています。
40歳(現64歳)から糖尿病、23.4~間質性肺炎になり位+肺洗浄で二泊三日の入院、原因不明でしたが、その後血液検査でリュウマチ因子数値が高く間接リュウマチを一因とする間質性肺炎と判断。糖尿病の為、安価な経口薬が適用されず「オレンシア」「ケザブラ」の生物学的製剤自己注射型の13000~18000/本の薬を使用していました。ステロイドの話もありましたが、糖尿病を理由に自分が避けていました。
今回、昨年末から体調崩し年明け1/21~31迄緊急入院となった次第です。(入院時動脈血中酸素濃度67%)
今こうして投稿していることが「奇跡」の生還の上に成り立っていることに感動。
全国儀典部長(旧知の副会長:約20年付き合っています)や栃木浄圓寺(毎年1.2に訪時し住職と勤行・唱題・歓談し本部深淵勤行会へ:恒例行事)の住職、地元女性部(旧婦人部)の熱烈なる激励(line・ショートメール)に守護され、緊急入院翌日の02:00頃、血中酸素濃度測定器の表示に「100%」が表示、CT/Xでも奇跡的に改善が確認され、間質性肺炎の「急性増悪・増悪」になるこが回避されました。
御守り様を個室~相部屋に御安置、YouTubeで先生の題目を胸部に撃ち込み、戸田先生の「治病権実大小勝劣」の講義の肺病に関する指導を胸に・・・ファイト♬を11日間聞き続けた日々。
ここからが恩返しです。
ハード面の仕事はもう無理です。
ソフト面中心もマンション管理業に関与するよう軌道修正が必要になりました。2月いっぱいは養生し、活動量と肺機能の確認を十分に行い、ステロイドプレドニゾロン)服用者として種々注意しながら三度目の人生軌道修正にチャレンジして参ります。
 
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今日からステロイドプレドニゾロン)10㎎減らし20㎎になります。
30㎎はパルス3日含め17日(約2.3週間)、基本2~4週間で1割減5~10㎎(20㎎~60㎎服用の場合)には一応合致。
14日の検査結果によっては隔日服用を担当医に相談しようと思っています。
動作時(筋トレ散歩)の血中酸素濃度と肺機能の確認を行い始めています。咳は以前の「間質性肺炎特有の空咳」から痰を含む席になり、7割程度咳込み減っています。結構楽になってきております。
 プレドニゾロン効果と副作用のバランスを服用量や連日服用か隔日服用かを含め、極限まで調整してもらおうと思っています。
緊急入院時「大腿部動脈採血PO2:67%」を思うと奇跡的に生還した感があります。
おはよう(^_-)-☆
目覚めてしまいました。今日は暫し云々の目覚めとは違い、早めの目覚めの様です。
ステロイドプレドニゾロン)30mg⇒20mgへ減量初回の朝になります。
 体調に変化がないか等を確認する為、筋トレ散歩は様子見とします。
プレドニゾロン使用歴30数年の姉のアドバイス。姉の話には身内でもあり安心感抜群です。
 
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人生の岐路に立つ

昨日64歳になりました。

昨年12/26~9連休に突入・・・しかし楽しいはずの予定が一転する。

28日頃から風邪のような状態に。軽かったので市販薬で対処。これが悪かったのか面末年始改善せずに一度38.5℃迄上がってしまった。

持病の間質性肺炎もあり「急性増悪」が心配で年明け医療機関受診にトライ。

しかし、コロナ・インフルの検査(室外待機)で来院しても時間が掛かるのと、間質性肺炎だと当院では・・・との返事が相次ぐ。

仕方なく1/17(金)定期検査(採血・採尿・X線)、1/21(火)の関節リュウマチ定期診察、1/23(木)間質性肺炎定期診察を目標に市販薬で頑張ることに・・・・。

これがいけなかった、死の一歩手前状態で定期検査後の1/21日の関節リュウマチ定期診察担当医の判断で急遽CT撮影、大腿部動脈採血で動脈血酸素濃度67で緊急入院に。

以下は先のブログで紹介した通りです。

 ところで人生の岐路とは?

それは今回の状況とタイミングの話になります。

間質性肺炎に罹患して1年9ヶ月程、その間に今回を含め4度入院。

一回目:肺サンプル採取(クライオ生検・肺洗浄)二泊三日 虎ノ門本院

二回目:オレンシア適正検査(間接リュウマチ自己注射薬)二泊三日 虎ノ門分院

三回目:ケブザラ適性検査 (間接リュウマチ自己注射薬)二泊三日 虎ノ門分院

 

今回:間質性肺炎の増悪? 十泊十一日 虎ノ門分院

昨年暮れに12月末日付けで間質性肺炎と職種環境(大規模修繕工事現場監理)を理由に退職届けを提出していた。

6月から大規模修繕現場3件、中規模工事2件を年内完工で担当。12月は土日は殆ど現場に出て仕事をしていました。

振休の含め12/26~1/6迄の9連休に突入。会社側との話し合いは御合意に至っていなかった。1月は記したように体調不良と入院で一日も出社いない。退職日が決定していなので健康保険は継続中(功を奏した?)。明日、会社側へ連絡し2月末の退職意思表示を行う予定。医療費の「限度額申請・高額医療費給付申請」を行う都合もあるが、2ヶ月分の保険料は約17万位になると予測。

タイミングとは

・入院期間が「月マタギ」にならなかったこと(高額医療費は月ぎめ申請)

間質性肺炎の急性増悪では無かったが「ステロイド」処方に踏み込めたこと

・関節リュウマチ担当医が呼吸器系に対処してくれたこと

・関節リュウマチ処方薬:ケブザラ(自己注射 高額月2本×1.8万)が要らなくなった

 (ステロイドに関節リュウマチの痛み改善効果があること)

・持病の糖尿病治療がステロイドをスタートするが今までの投薬(量も同じ)で行ける

※様々なタイミングもあるが、ステロイドを服用し生活が一変こと、そしてそれが63歳最後の「1/31」で結論付けで退院できたこと。

そして仕事も全くの闇ではなく、3月から「目鼻」ついていること。

昨日2/1に64歳になり、この月は体力回復と6㌔減の体重改善、そしてメンタル面強化とステロイド人生への変化に順応する生命力を付けることである。

副作用も多々・・・一ヶ月後にはムーンフェイスにも。

 

法華経

此大良薬 色好美味

此の大良薬(ステロイド)を美味しい美味しいと我が細胞へ取り入れ、副作用をも完全踏襲し全生命力で新たなバージョンUPした自己を確立し、新たな道へと!!

2025.1.21~1.31緊急入院(間質性肺炎 増悪)

小生1月21日~1月31日と間質性肺炎の緊急悪化で緊急入院していました。
昨年12月19日ころから風邪様な軽い症状に、正月連休9連休明けに38.5℃迄一度発熱したため通院にトライ。しかし混雑と室外待機要請等で体力的に無理と判断し、1.17定期検査と1.21の関節リュウマチ定期診察・1.23の呼吸器内科定期診察まで・・・と思ったのが行けませんでした。
1.17(金)の定期検査(採血・採尿・X線)を死ぬ思いで受信、通常徒歩5分を約20分、咳き込痰吐き休み休みやっと。
土日月と市販薬とアンプル、カロナールやバッファリンで対処し、火曜日に間接リュウマチ(腎センター)受診、入室するなり医師からCT撮って来い!今呼吸器内科とは連携取るから!と。
CTを何とか済ませ再受診、このまま入院しなさい!死ぬよ!と。
呼吸器内科担当医は本院専属で木曜日のみ分院(梶ヶ谷)に、分院担当と両方に連携が出来ており即検査、入院(個室)に。
大腿部付け根から採血、動脈血中酸素濃度(PO2):67(基準80~100)、即ステロイドプレドニン)パルス療法開始(3日間)。
パルス2日目の真夜中、何と血中酸素測定器デジタル画面97・・・100を表示。驚異的な回復を見せる。(御守御本尊様御安置・YouTubeで先生の題目肺に打ち込む)
3日目夕方4人相部屋へ、痰から抗抗生物質ブドウ球菌が検出。
同室者や入院患者への感染予防の為、マスク常用と手洗い強化指示が自分にでる。
パルス療法終了後、プレドニン30㎜(6錠)+眠剤+抗生物質が追加される。
食前血糖値測定では朝食前は基準値201を大きく下回り、朝昼夜は230~330の値。退院前の夜に一度201を大きく下回わった。
※退院後、2.6迄はプレドニン30㎜、2.7からは20㎜で処方されています。
体力、順調に回復しています。
・空腹感を感じ始めたこと
・8000歩/日の外出散歩ができ始めたこと(あぐりっこ農園が楽しみ)
・この時間帯に起きれてること(3:30~4:30)
・毎日入浴できていること
眠剤が要らなくなりそうなこと(21:00頃眠気がし始めている)
以上が「善」への変化です。
マイナスは体重が56.0㌔で入院前の62~63㌔に戻らない事。
医師は自然に戻ると言っています。
ステロイドプレドニン)には副作用が沢山有ります。
・胃腸障害
・血糖値が上がる
・体重が増える
・倦怠感、嘔吐・・・
etc
※入院中、朝の空腹時検討値は基準の201を大きく下回り、昼食・夕食前は230~330になり食前インシュリン注射を毎回。
 夜の血糖値は退院前日に201を大きく下回りました。
退院時の薬事では糖尿病に関する投薬は入院前に戻し、通院も今までの国島医院にすることが決まりました。
虎ノ門分院は設立当初は長期療養所として開設され、地元の要請で診察を始めたそうです。
常時混雑していますが、特に糖尿病科はいつも満員状態で腎センター+呼吸器内科に糖尿病科の通院は大変出し、特に開業医でも問題ないとの判断です。
自分も定期検査(金)、腎センター(火)、呼吸器内科(木)と月に3回のペースで通院、糖尿病の国島医院は仕事の都合で土曜日がメインで金・火・木にぶら下げています。
先が見えて来ました。
しかし、現場監理の仕事はもう無理です。軌道修正をしなけばなりません。(有機溶剤・塵埃・・等が肺に悪影響)
体力、順調に回復しています。
・空腹感を感じ始めたこと
・8000歩/日の外出散歩ができ始めたこと(あぐりっこ農園が楽しみ)
・この時間帯に起きれてること(3:30~4:30)
・毎日入浴できていること
眠剤が要らなくなりそうなこと(21:00頃眠気がし始めている)
以上が「善」への変化です。
マイナスは体重が56.0㌔で入院前の62~63㌔に戻らない事。
医師は自然に戻ると言っています。
ステロイドプレドニン)には副作用が沢山有ります。
・胃腸障害
・血糖値が上がる
・体重が増える
・倦怠感、嘔吐・・・
etc
※入院中、朝の空腹時検討値は基準の201を大きく下回り、昼食・夕食前は230~330になり食前インシュリン注射を毎回。
 夜の血糖値は退院前日に201を大きく下回りました。
退院時の薬事では糖尿病に関する投薬は入院前に戻し、通院も今までの国島医院にすることが決まりました。
虎ノ門分院は設立当初は長期療養所として開設され、地元の要請で診察を始めたそうです。
常時混雑していますが、特に糖尿病科はいつも満員状態で腎センター+呼吸器内科に糖尿病科の通院は大変出し、特に開業医でも問題ないとの判断です。
自分も定期検査(金)、腎センター(火)、呼吸器内科(木)と月に3回のペースで通院、糖尿病の国島医院は仕事の都合で土曜日がメインで金・火・木にぶら下げています。
先が見えて来ました。
しかし、現場監理の仕事はもう無理です。軌道修正をしなけばなりません。(有機溶剤・塵埃・・等が肺に悪影響)
以上、近況報告でした。
Facebook約1ヶ月間確認できませんでした。
今後とも宜しくお願い致します。
すべてのリアクション:
布施公男、Noritomo Tasaki、他3人
 
 

雑記

2023.12.10

午前3時半目覚め。

洗面所へ行き、うがい・洗顔(水だけ)。ゆっこでコップ1杯分の湯をセット。

腰回し前後左右に揺さぶり、肩を前後にくるくる、手を伸ばし交互に逆回転させ、両手を頭の後ろで組み頭をそらす。お決まりの早朝ストレッチ。

湯が沸きインスタントコーヒーの「男はゴールドブレンド」にハチミツを入れ血流対策?してデスクへ。

PC立ち上げX:TwitterFacebook、そして最近強要されたワッツアップを確認する。

X:TwitterFacebookは長年続けているがX:Twitterの方のウエイトが多い。

ワッツアップはX:Twitterで出会ったインド創価学会員に要請され始めた。純粋に交流出来ている。大誓堂10周年記念勤行会への参加を地元SGIメンバーと連携、準備して来日予定でしたが、心情が変わりキャンセルとなった。

以前はこの時間、御書や法華経に没頭したり、必死に題目を唱えていた。サラリーマンで年間200万遍とか御書年2回拝読、そして法華経と。その他指導集や哲学書を含めカウントすると100冊に相当する読書を数年続けていた。

数年前から題目のカウントをやめて、勤行もスタイルを変え自由にしている。

 

青年部時代に支部全体で折伏結果上期0状態の中、先輩部長と副部長2名が初回の青年1級試験で留守がちに。当時地区リーダーの中心的存在だったので男子部を取りまとめ勤行をおこなった。何回か導師は経験(お経担当創価班も)していたが、この時は違っていた。緊張と恐怖が襲ってきた、「この同志に結果を得させなければ・・・御本尊不信になってしまう」と言う思いが頭をよぎった。

毎夜支部拠点を21:00~拝借、来るメンバー来るメンバー毎に勤行をした。10回位はざらだった。たわいもない話をし近況を確認し合う。程よく隣から声が掛かり壮婦が🍙と唐揚げやみそ汁が用意されていた。

体が出来た、導師を争うメンバーが出て来た。一番先に来てやりたい者が導師を、と決めていた。壮婦が絡み生活の悩みや仕事・バイトとの相談、そして恋の悩みも。

「願いなさい」と笑み乍ら微笑み支える壮婦がいた。

勢いが出てきた。言わば「活力」である。折伏目標を打ち出した、打倒婦人部」である。本部でトップを取ろうとしても、相手の姿が見えない。ならば支部内の強豪婦人部を相手として競おうと。支部幹で決意披露する。さらに活気だって来た。

男子部11世帯、婦人部11世帯に到達し年末に突入。さすが婦人部・・・隠し玉が一個ストックされていた。結果男子部11世帯、婦人部12世帯で支部23世帯を下期で達成した。

歓喜の中、本部へ打ってでた。人材GPを結成した、当時言われていたC/Dクラスの掘り起こし。支部メンバーを引く連れ本部拠点で活動を開始した。

体験が日々生まれ征く、手詰まり感が出始める。そうだ・・・全国幹部を呼ぼう。

即行動した、もとより幹部出禁の集まり。不満の声が上がる。

要望が叶い全男が会場入り、当然として幹部が同行し異様な雰囲気を醸し出していた。

勤行、御書講義が始まった・・・突然全男が「なしにてる!」と。爪をいじっているメンバーを睨み「ここは精鋭中の精鋭が集まっている。気を抜くな!」。C/Dクラスに全男から激が飛んだ。終了後に暖かくもやさしく激励する全男の姿があった。

名前を「折伏驀進隊」とした。自分が高杉晋作好きで幕末の志士を尊敬していた影響。

当時は忘年会も盛んだった。皆で年末の商店街へ買い出しに行き、支部拠点で壮婦の差し入れも合わせ楽しい会食が始まった。

中ごろに一人の幹部がきた。通常会話でつっかり私をターゲットに隊員を卑下し始めた。後でわかったが失敗だった。罠にかかり土下座迄させられた。

後日曲解された報告が本部幹部され、当時公明新聞記者の派遣本部長に総括された。

やむなく解散し活動停止に・・・・20数年間。

某副会長に拾われ創価班から〇金へ移行する。その後の活動はありのままには披露できない。

今朝はここまでかな?って感じです。