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おはようございます。
久しぶりの投稿になります。仕事の多忙にかまけてブログ確認のペースが月2回程度になってしまっています。
草津温泉へ出張したり、国立国会図書館の工事管理をしたり、某区の区営住宅管理業務受託プレゼンをしたりしていました。
ソフト面、ハード面のコア的な拘わかたで心身ともに疲労の限界を感じながら日々頑張っています。
この年齢(57)になると遅ればせながら自分の残りの人生が一応見えて描けてきます。
団塊の世代が「介護必要年齢」に突入し、これに加えて建物の老いも進んでいます。高齢化社会に自分の位置付けや絡みを考えた時、少し不安とゾッとしたものを感じます。
通勤満員電車に高齢の方が押しつぶされそうに乗車し目的地まで必死に踏ん張ってしがみ付いている姿に自分を重ね、昼間の空いた時間に幼い子や赤ちゃんの声がすると心和やかになる。かといって中間層(青年)は我儘で他人を無視してマイペース。心豊かな日本は何処へ行ったのやら・・・。
亡くなっていった先人たちは何を思い感じていたのだろうか?人生の最終章をどんなん思いで日々過ごしていたのだろうか?我が身に重ねた時、大きな不安に駆られるのは自分だけだのだろうか?