hide-okierabu’s blog

管理会社勤務23年間の実務経験を活かしてマンション管理の真実を公開し社会善へ向けて日本の旧体質を打破して行きたい為に開設致しました。

おはようございます!

久しぶりにゆっくりと休日をスタートさせています。鉢植えの折鶴蘭の花が日々咲き香り、人間ジャングルの欲望と葛藤のコンクリート監修所社会から解放され帰宅した自分を慰め労わってくれます。

不確実性の時代、個性個性と言っているが、他に合わせることに異常なまでに神経を使う。いわゆる「群れる」に身を置き安心をえる。まるでイワシの群れやアフリカの平原で群れる動物に思えるのは自分だけだろうか?

社会人になり、少しでも他人よりくだらないことで優位に立つと威厳を持ち、ガラス細工のようにたわいもないことで砕け散る。学生時代の自分は何処にやら・・・雑踏の中なら過去に拘る必要はないと自負し他を見下す者達が増えたことよ。

部外者的意見ばかりで当事者的見解を出せる者は皆無である。これも思想のバブルとは言えないだろうか?学ぶことを忘れた「知恵ある畜生」と人間を表現した哲人がいたが、当に大多数が相当するように思われる。

仏は「一切衆生悉有仏性」と説き、それを基準にして法や道徳が出来上がり、歴史の一定期間では重視され、一定の精神的コントロールがされて来た感があるが、今や自然界の汚物でしかないような生き方がまかり通っている感がする。

あらゆる自然界の植物・生物・・・は生命連鎖の中に生死を繰り替えしているが、人間はこの連鎖に入り込めない厄介者であることは歴然としている。この我儘不道徳で傲慢な生き物も必ず死ぬのであるが、生死(流転を繰り返す大宇宙の生命)と言う厳然たる森羅万象の法則のどの生命状態の中に溶け征くのであろうか?「地獄」とはこの宇宙生命の中に厳然として存在している。宇宙生命の「成・住・壊・空」の連鎖のリズムから外れた生命群(地獄と表現)に溶け込み宇宙大の時間、もがき苦しむのだろう。

再び「人間」に生まれることは奇跡に近い。昨日も電車の中でこの世に誕生する生命があった、方や宿ったと思っても捨て去られる生命もある。先祖が全て天国と称されるところに流転していれば・・・地球上の人口はこんなものではないだろう。9割は宇宙生命の流転のリズムに置き去られた世界(地獄と称す)に浮遊滞留しているのであろうか・・・。と何故かこんなことを考え、休みがスタートしている。