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管理会社勤務23年間の実務経験を活かしてマンション管理の真実を公開し社会善へ向けて日本の旧体質を打破して行きたい為に開設致しました。

マンション管理士 真実を語る! ELV点検。

エレベーター点検。

何故に管理会社が管理組合と業者の間に入ってマージンを取っている?

機械式駐車もしかり、専門業界の中に管理会社が入って報告書を添付するだけでマージンを取っているんですよ。この行為は「管理委託費」内の事務的報告に含まれます。何ら技術的は判断も、ノウハウもなく「お任せ」で中間マージンを管理会社に管理組合が提供している。

ELV点検に「FM・POG」がある。そもそも「FM」点検は商業施設等の存在する建築物で故障が発生した時、営業補償等を避けるために設定された点検と言えるでしょう。マンション(高層・タワーを除く)では、こんな問題は発生しにくく「POG」で十分なケースが多々あります。又、「FM」で例えば向こう30年に発生する消耗品を1年間に均等に割り当て、月額で5万~10万位で予算化されて総会で承認されて支払われています。ELVリニューアルが提案されるケースもあると思いますが、「FM」契約上で支払った金額と履行された内容が検証されて、「FM契約期限」を前倒してリニューアル工事を実施した場合、この「FM」契約満期に満たない場合、支払った金額はどうなっているでしょうか?御一考の価値は十分にあると思います。

 

作業服マンション管理士 真実を語る!

修繕積立金の設定

多くのマンションは「規約承認販売方式」により販売されます。

区分所有法で「集合住宅・マンション」の定義がされた時、二以上の区分所有者が存在した時点で規約や修繕積立金及び使用細則等を決めるのは、性質上・時間上そぐわないのが実情です。

故に「規約承認販売方式」が一番便利でスライド的に管理会社へ移行できるから採用されています。当然の事と思います。

但し、修繕積立金は販売戦略上「安く」が常に念頭に置かれており、管理会社の「受託営業・営業開発」等の部署が積算した金額が通ることは殆んどありません。周辺のマンションのデーターを集めて「販売ありき」の金額設定がなされ「修繕積立金」はその中で調整されます。管理上と言うより「販売」ありきが最重要とされあらゆる必要経費がコントロールされています。

マンションは「管理を買え」と言われたことがすでに彼方に忘れ去られています。「システム」が人を率いて仕事をしているような錯覚が日々起こっています。漏水が起きてもタイルが剥落してもELVが止まっても「管理会社の緊急センター」がコントロールしていますが、殆どが社員でなく「外部委託業者」。フローで流すだけで御客様目線とは程遠いのが現実。

のんな状況下で現場を知らなさ過ぎる管理会社技術社員やフロントが積立金の5年置きの見直しを実施し「システム上の積算」を根拠に金額を修正して来る。

一口も根拠なし、見直しも根拠なし、全てが販社主体・業者マターの中で「システム」に入力し進行して、理事会・総会で承認されて行く。

ペーパー主体で資産保全は大丈夫?今一度、慎重に考えてみては如何でしょうか?

マンション管理士 真実を語る!

マンション管理会社の技術系に23年間勤務。

N(H5~)、D(H23~)Nは管理会社がビル管理マンション管理事業部から独立に1年目に入社し、施設管理課・緊急センター・工事課・技術課・アフターサービス等の開設等に携わり、業者選定基準や設備・建築マニュルの資料準備、アフターデーターの整理管理を行い現在のプラウドプロゼクトの基礎データーに関わる。Dでは管理の限界点と現場ニーズのハザマに会社方針に逆らいながら関与する。

ほんの一部を今回紹介する。

メンテナンスに関して語ると、管理会社の担当者や技術の担当は殆んど現場を知らないし、修繕や工事に関して実務経験者は1%もいないでしょう?又物件担当者は12~20物件を受け持ち、管理員や業者の報告でマンションの状況を把握するのが限界である。技術担当者は支店に4~5人500~800棟を管理する中で担当者(フロント・アドバイザー)よりも現場を自ら掌握することは殆んど不可能な状況にある。

これに悪循環をかけるように一次下請け業者が「管理会社化」二次下請け・三次下請け業者任せになっている。又、メンテナンス業者の営業マンも現場を職人に任せっきりで管理会社に報告書・見積書を提出する「職人マター」の状態になっている。

システムや社内教育は年々充実しているが、医者が患者を診断しないで処方箋を出しているような状況。頭でっかちのペーパードライバーが高速道路を走っているようなものです。彼らはいろんなインストラクションを受けているので「語り」には一応長けており、会社の寝エイムバリューに酔いしれてしゃべりまくり理事会や総会をデべート敵にこなしている。末端業者が100円、二次下請業者が125円、一次下請業者が150円、管理会社が175円ってこんな感じで、施工内容や施工方法が職人の経験値や知識レベルに左右される「職人マター」が横行している。これが大手1~12社位迄実態である!

マンション管理士 同窓会に出席した!

昨日12日、アルカディア市ヶ谷で「関東国頭校区校友会 総会及び敬老会」に22回目で初めて参加致しました。

盛大でビックリ!懐かしい同級・先輩後輩・先生・・・敬老の方々。顔で分かる人、名前を聞いてわかる人、名前を聞いても分からない人・・・いろんな人が「同窓」の慈悲に包まれて集まり語り・踊り・笑い・泣き・怒り・・・。

亡き父母のことを語ると鮮明に浮かび上がる「絆」がそこにあった。

一人の同窓が私に皆の思いを語ってきた。何故、何故、何故の連続にも時と年齢のなせる技が呪縛を解き放ち、素直に語り始めた自分。落ち着き払い、悠々と語る自分に友もビックリしていた。小学校時代の先生も「君がこの同窓会の中心にいつもいる。君がこの同窓会を中心となって発展されせるときが来たんだ。君だよ・・・小中高と常に級長・児童会長・生徒会長、バレー部のキャプテンでエース・陸上・相撲・野球全て引っ張って来た君を皆が待ってるんだ」と。

伝統の踊りがステージで始まった、小学校の時に一番上手いといわれた自分、あまりにも貧弱な踊りに、ホラ入って踊り教えてあげて!一瞬に体が反応し舞に舞う!

敬老の方々の拍手と歓声に涙がでる。これだ、これを護り伝え行くんだ。頭ではない、体で体得するんだ皆の心を!

踊り終えた自分を同窓の友が優しい笑顔で迎えてくれた。有難う、有難う、ミヘーディロ!懐かしい「島口」が飛び交った市ヶ谷の空に!

マンション管理士 同窓会に出席する!

おはようございます。

今日は故郷沖永良部島の小学校の同窓会です。56歳にしてやっと参加できる心境になりました。12時から市ヶ谷です。

身内で最高裁まで対応した事件があり、故郷沖永良部島の仲間と役30年以上一定の距離を置いていました。如何なる出会い、再開があるだろうか?不安でもあり楽しみでもある。あの顔、この顔が一気に30年の氷を溶かし行くことだろう。

18歳で沖永良部島を飛び立ち夢いっぱい携えて東京に、失敗ばかりの人生ですが何とか生きてますし、生かされています。型にハマルのが嫌で大手マンション管理会社のNで課長代理(約10年)、Dで担当課長(約10年)一時期5部署の課長を兼務したことも。今、組織やシガラミを解き放ち自分の意思に任せる仏法を基調とした「随自意」のマンション管理士を目指しやっとスタートを切りました。

昨年9月に94歳の母を亡くし「母がくれた心のクッション」を使える年齢になったような気がします。この「心のクッション」は日本古来の「優しさや思いやり」を生み出す全地球上の人類が平等に経験した「母の愛」で育まれた産物です。

大宇宙の「命・生」を宿し育み生み落とし、抱き与え慈しむリズムこそが未来永劫の平和をなし行く「善」のリズムと確信しながら、今日をスタートして参りましょう(^_-)-☆

マンション管理士 今日の呟き

某管理会社の体質

会社関係の上長が所有する物件に関して異常な程の関心を寄せて、社内情報の為に余計な通常は報告しなくてもよい事まで下請業者に社内・電話・メール等で必要以上に催促要請して来る。

これは一種の下請法に抵触する行為である。お家の事情を対価も提供しないで情報提供を要請する。自分達はお部屋(会社)の中で指示するだけ。まるで放射能汚染の除染作業を遠隔地東京から支持する官僚、ロボットカメラを2メートル進めて自己満足するキーボード人間だ。

この会社、実はあの大震災の夜、幹部がいち早く自分達だけコンビニで酒やつまみ、夕飯・朝飯を確保し酒盛りをしていた会社・・・・。

会長・社長・部長が社内物件を所有し管理している。これは一種の利益相反?に抵触する?何故に特別扱いする?たかが一区分所有者に過ぎないでしょう?規約上!ここが日本人の島国根性と言われる悲しい性である。

公平なマンション管理を目指す我々管理士からすると摩訶不思議な世界である。

マンション管理士 今日の呟き

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今日一日の戦いを終えて帰還する。

様々な人生、様々な一日があるのも当然である。何のために生きるのか?何のために生きているのか?

今現在の自分(今の結果)は過去の因を訪ねると歴然とする、これと同じで未来の自分は今の一瞬にある。過去も未来も、今の一瞬の自分と言う連続の中でしか存在しない。

戦場で戦い傷ついた大和も我が家に帰還し、傷癒し又明日への戦いに備える。

人間の死も同じように、戦い疲れた体を休め大宇宙と言う母なる胎盤へ帰り、再び生命として形ある生き物となり顕現される。

この生命リズムの流転の中に、生きる存在価値を如何に掴み見つけるか?生きるとは?そんな物だろうか?

旅人よ

いずこより来たりて

いずこへ行かんとするか・・・・・

己が生命のレコーダーに何を刻み、如何に生きようとしているのだろうか?

さあ、今日も漠然と疲れ、羽を休め明日へと飛び立ってゆこう!